経済学は、現実の時事問題と密着しているもので、「義務教育の時代から投資教育を」という意見もあるように、現実と切り離せないものです。現実とは、誰にでも部分的直感的には分かるが、その全体像は良く分からないものですが、経済学は、人間社会の全体像をつかもうとする特長を持つ全体認識が必要な学問といえるでしょう。ちなみに中国では、日本語の経済学の源となった「経世済民」の学問が、天下国家の普遍的な利害を、天子と協調し時には天子とも対立することも辞さないで考える宰相の学問として、古代以来存在してきました。
現代の経済学は、英語の「ポリティカルエコノミー」の翻訳ですが、その起源はヨーロッパ近代の絶対王制時代に為政者のための学問、すなわち国家の人口や貿易収支や外貨準備に代表される国力を確認し、いかに税金を合理的にとるかの方法論です。この財政学や統計学と一体であった「ポリティカルエコノミー」が、資本主義社会の発展とともに、この社会はどういう特徴と自己組織方法を採っているかを知るための組織学へと発展転化し、経済学となったのです。
コミュニケーション能力の必要とその基礎
最近の学生は、就職難の時代が長く続き将来に対する不安があるためか、まじめです。ただそのまじめさは、大学が何でも面倒を見てくれるという受身の期待と表裏一体になっていることが残念です。日本社会は、自分で課題に挑戦し問題を積極的に争って解決しようとしなくても、誰かが面倒を見てくれて済む受身の性格(おとなしさ、まじめさ、柔軟性、その日暮し的性格)という特徴を持っているからです。
現代日本では家族や地域社会を意味する「コミュニティ」が強調されています。コミュニティは、人間だけでなく、サルや小鳥にもある動物一般に普遍的なものです。皆さんが社会に出てから入ることになる企業組織も、命令と服従関係だけから成り立っているのではなく、一緒に働くコミュニティの面を持っています(日本の代表的な企業であるトヨタ自動車もそういっています)。しかし、現在の日本企業は、現実には実務に携わりながら新人の面倒を見る中堅層の人材が非常に薄くなっているため、新卒者が、自己表現能力を磨くこと、組織内部でのコミュニケーションの能力(例えば嫌いな上役と付き合って適度なお世辞を言える能力)を持っていることを、要求しています。人間社会の基礎単位であるコミュニティの維持再生産は、言葉によるコミュニケーションを必要とします。しかも、ここでいうコミュニケーション(話し合い)は、各人が自分自身の原理と目標を持ち、対話の相手を具体的な個性を持った個と認識できるときに成立します。実は、これがこの能力をまだ持っていない皆さんの将来に対する不安の大きな原因の一つでしょう。
好奇心を持って現実に切り込み推論して見よう
現代の若者は、自分自身の意思を決定でき難くなっています。その理由は、人間社会が複雑化し、直感や感覚だけでは処理できない問題が増え、世界がどうなるかを知らなければ自分が何を選択するかが決まらないからです。人間が生きる目的と行動原理は、誰も教えてくれない(人類による歴史的選択を経てきた古典には参考になるものが多くありますが)ものであり、現実との対話の中から自分自身で工夫し努力して、目的を発見し達成して行かなければならものです。
現実に興味を持ち現実と対話してみることは、すべての知識や学問の出発点です。現実は、客観的かつ全体的なものであるだけでなく、絶えずそれまでは予想されていなかった方向にダイナミックに変化します。また現実のどこに興味を持つかは人によって異なるため、自分が興味を持ったところから、現実にまず切り込んでみないと、自分が考え加工する材料を集める出発点が出来ません。
現実には客観的な内部関係がありますが、それは、どこかに書かれているものではないため、社会の根底的動向と現実的根源的な課題を出発点として、現実の具体的イメージを持った上で、自分自身が推論し推定するものです。しかも、推論することは、その根拠としての客観的な全体の種々な特徴を、誰もが納得する事実から帰納することと表裏一体の関係にあります。だからこそ、若者が常に持つ好奇心は、理論的演繹能力と現実的帰納能力とを訓練し、大胆な直感と推論に基づく行動を通して、現実を変化させる基盤とつねになってきました。
問題解決能力を養う経済学部の教育
社会の中における大学は、学生が人類の歴史的蓄積の中から自分の思考の材料に役立つ部品(資料、データ)を集め、その組み立て練習ができる場所です。本を読む時間もない社会人に比べれば、学生は広く講義を聴くだけでなく、友人と遊んだついでに気が向けば、図書館・メディアセンターで本特に古典を読めます。学生は、昔から遊びながら自分の世界を自然と広げたもので、その際に学問の宝庫となることが出来る大学という場所と時間を利用して勉強してきたものです。
経済学は、実務的知識と重なり合う部分を多く持ち、それを必要としますが、逆に言えば高度な実務的知識は、体験を通さないと身につかないため、大学で容易に教えられるものでもありません。ただ、人間とは、読み書き算盤ができ、また集団の中で根気強く継続的に労働する意欲があり、目的意識を持って仕事の種類を選択し自己訓練を積み重ねれば、若ければ若い時ほどすべてのことを試行錯誤できる存在です。したがって、大学教育の意味は、20歳前後という頭脳が急速に成長する時期における自己学習の訓練を行い、それを通して社会で問題に直面した時に自分で勉強をやり直すのに必要な基礎知識を身につけておくことに役立つものです。
経済学部のカリキュラムは、こうした目的に役立つ理論的と実務的との両面を持った巾の広いものとなっています。歴史的現実が絶えず従来予測されなかった新しいものを生み出すダイナミズムを持つため、経済学の理論的知識は、たえず更新されなければならないものです。実はこのことが、日本において法制度に関する具体的実用的知識の暗記とその分類方法の教育に重点を置く法学部の経済学科から、経済学部が独立分離した歴史的理由なのです。経済学部は、一般的にどこでもゼミナール教育を重視していますが、その理由は、現実の困難に直面したときに、自分の力で切り抜けることが出来る力を、具体的な課題や討論を通して養うためです。
今日の世界は、新情報革命・新産業革命、さらに巨大なエネルギーを持つ中国巨大資本主義の台頭による激動を経験しており、こうした激動の意味は、既知の事実の意味を考え直す好奇心と変化を見出せる注意深さや根気強さを持って、未知の将来を推論してみなければ、理解できないものとなるでしょう。